そびえたつクソの塔を徒手空拳で這い上がる
トイレからこんにちは
僕の語彙力はうんちなので、必然僕を通して見た世界はうんちレベルで出力されます。
でも世界はうんちじゃないので僕はお腹が痛くなり、トイレに駆け込みます。
自己紹介
はじめまして。アガサと申します。
本日2018年9月30日17時にブログを開設しました。
普段はTwitterに住んでいます。
目的について
僕がブログを開いた目的は「ブログの説明」にすべて集約されています。
出力しなければという危機感から生まれた。お腹痛い。
僕がこのブログで行うことは出力です。
入力した内容を咀嚼し、未来の僕が振り返れる形で出力します。
以降、すこしぐだぐだと目的について補足します。
どうしてブログなの?
今まで僕はTwitterで出力を行っていました。
しかしTwitterは数々の出力を歪める要素を有しています。
文字数制限で内容が削れるのはもちろんのこと、限られた文字数内で面白いコンテンツに仕立て上げたい欲求も敵です。
さらに冒頭で書いたように、僕は僕が素敵だと思ったものを素敵なままに出力することができません。
素敵なものは僕に落とし込まれ、僕のうんちレベルの語彙力で汚されて世に出力されます。
うんちフィルターで汚された出力が、Twitterの魔力によってさらに歪められてしまったら生まれるのはなんでしょう。
見るに堪えない、うんち以下のSAN値が削れる何物かであることは間違いありません。
どちらの問題も単体ならまだ耐えられたでしょうが、ワンツーコンボに僕は耐えられませんでした。
うんちフィルターはどうしようもありませんが、Twitterの魔力は長文を書ける場所に移動すれば解決できます。
せめて僕は見るに堪えるうんちを出力したいので、ブログに移動しました。
どうして出力するの?
どうして僕は出力しなければならないのか。 出力によってうんちになるなら、出力しなければいいのではないか。
大切で素敵なものを、素敵なまま大切にしたいならたぶんそれが正解です。
でも僕は僕がより良いものを作るために、素敵なものを入力しています。
たとえうんちでも、それを積み上げれば積み上げただけ僕はより高みを目指せます。
「僕の目指す面白さとはなにか」「僕は何を伝えたくて生きているか」など、そういう曖昧で言語化しにくいものと向き合って戦うには、言語化できるところから切り取って迫っていくしかないのです。
記憶は風化します。
咀嚼して言語化して出力しなければ、未来の僕は胸の中にあるふわっとした「素敵なものを見た」という曖昧な記憶しか使えません。
それは無です。
糧にするならば、無はうんち以下の価値しかありません。
クソの塔の頂上からいつか自分も素敵なものを生み出すために、僕はうんちを出し続けます。
トイレからさようなら
全体的に茶色っぽい記事になってしまいました。
ブログタイトルを見て白色を期待した皆様すみません。
また何か入力したら記事書きます。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。